終活をしていてお墓のことについて悩んでいます

終活をすることは、とても大切なことだと感じます。
それは、自分がなくなったあとに、困る人がいないようにしたいからです。
そのため、自分の意思をきちんと伝えておくことが大事ですね。

そのことから、私はもしものことがあった時のために、エンディングノートを記載しています。
もしも交通事故等にあった時の処置の事、残された犬のことなど、全て細かいことまで記載をすることにしています。
そしてそのことは、追加をすることもあります。
必要な事を、追加をして記載することにしているのです。

また気持ちが変わった時には、その都度書き直すことにします。
そのようにすることによって、とても良いエンディングノートにすることができます。

そしてそのように終活について行っている私ですが、一つ悩んでいることがあります。
それは、お墓のことについてです。
主人の先祖のお墓、私の先祖のお墓など、お墓を守ってほしいと思っている事です。
そのことについて、子供たちに伝えていこうと思います。

また度々、お墓参りをすることも大事ですね。
そのお墓のある場所をきちんと覚えておいて欲しいので、そのことも大事なことなのです。
もしも県外にいくことになったら、そのお墓はどうなるのだろうと思ったりしています。
そんな事を考えると、延々と悩んでしまいます。

死んでしまったら、それまでということも感じます。
しかし、今までの先祖に感謝することに対して、気持ちを表示出来る場所はお墓だと感じます。
しかし、そのことを重視することよりも、今の生活を重視して楽しく元気に暮らすことも、大事というう考えもあります。

そしてそのお墓は、山の上にあります。
そのため、お墓参りが大変です。
そのことも考えて、自分の時にお墓をお墓参りをしやすいところに移転をしたいとも感じます。
自分たちも、年をとった時、今の山のうえにあるお墓までいくことがむつかしくなります。
そのことを思うと、移転をすることは大事ですね。
霊園等に移したいと思っています。

20代で 母親の介護を始めたこと

当時28歳だった私は会社を退職したばかりで無職なので家にいました。 

忘れもしない、7年前のクリスマスの日、母親はハンバーグを作っている時に、急にお腹が痛くなり救急車で病院に運ばれたのです。

病気一つしたことがない母親が急に病院に運ばれたということもあり、パニックになってしまいました。

母親の病名は末期の大腸がんで、子宮、リンパ 他の臓器にも転移していたのです。

母親は10時間にも及ぶ大手術に耐えましたが、人工肛門になりストーマを造ることになりました。

それから、抗がん剤治療が始まり母親は自宅で療養を続けることになりました。

私には妹が1人いますが、妹は出産したばかりで母親の介護を手伝えるわけがありません、父親は仕事で家にいないので、無職の私が母親の介護をすることにしました。

病院に入院していた時は看護師さんが母親の介護をしてくれていましたが自宅に戻ると私がしないといけません。

当時の私は22歳、母親は50歳で元気で明るかった母親の面影は全くなく、ガリガリに痩せ細そり、抗がん剤で髪の毛が抜け誰か分からなくなっていました。

それだけでも ショックなのに母親のオムツを替えないといけません。

母親の痩せ細った太股、足、お尻を泣けてきて泣けてきて仕方がなかったのです。

母親は抗がん剤の影響で意識が朦朧としており、あまり話すことができませんでした。

温かいお湯で体を拭いてあげると意識が朦朧としているのに『気持ちいい、気持ちいい、ありがとう。ありがとう。』と言ってくれました。

母親の骨の浮き出た背中を見るたびに涙が溢れて仕方がありませんでした。

ご飯もあまり食べる事ができず、吐いてばかりで布団を何度も何度も洗濯し掃除しました。

母親は人工肛門なのでストーマのパウチの交換のために中の便を出さなければいけません。

抗がん剤の影響によるものなのか、便は下痢となり悪臭を放ちストーマのパウチから漏れていたのです。

それが毎日のように何度も繰り返され 部屋は悪臭を放ち、私もご飯も食べられずにだんだんと気力をなくして行きました。

毎日の介護で私の睡眠は2時間弱、思考回路が回らなくなり、心も体も疲れ果てて泣き叫んでしまいました。

それを聞いた母親は『あなたに辛い思いさせてごめんね。生きててごめんね。』と小さな小さな声で 私に言ったのです。

『母親が一番苦しいのだ。』私は自分のことばかり考えて母親を思っていなかったのに気がついたのです。

私を今まで大切に育ててきてくれた、今度は私が母親を守る番だと思いました。

大好きな母親がこの世からいなくなるなんて絶対に考えられなかったし、ずっと一緒にいたかったのです。

母親は 治療を頑張った結果、病気に負けてしまったけど自分には負けなかった本当に強い母でした。

母親と二人の時間が沢山できて、私もめいいっぱい母に甘えることが出来ました。

話はあまり出来なかったけど、母の介護が出来て母親を最後まで看取ることができて嬉しかったです。

大変なこともあればいい思い出もありました

私は独身時代に介護職として7年間働いていました。老人保健施設、特別養護老人ホームで働いていて、色々な高齢者の介護をしていて、介護について体験をして考えることもありました。

介護で大変だったこととしては、身体的な負担と精神的な負担がありました。身体的な負担というのは、日常生活すべてにおいて介助をしていて、例えば入浴担当になれば朝の3時間ぐらいは入浴介助になりますし、25人ぐらいの高齢者が入浴するのを次々にお手伝いするという仕事になります。
一日通して体を動かす仕事で体にかかる負担は大きく、腰痛になる人も多かったですし、私の場合も仕事が終わったら体がくたくたということが多かったです。

また認知症高齢者が多いのでスムーズに意思疎通ができずに、暴言を言われたり、暴力をふるわれたりすることも日常茶飯事でした。
特に特別養護老人ホームは介護度の高い人が多かったので、こちらが入浴に誘ったのを拒否して、引っかかれたり、叩かれたりということもありましたし、
トイレに誘っても同じこともありました。
良かれと思ってやっていることが全く通じない、相手のためにならないということに対してむなしさを感じました。

いい思い出としてはやはり介助をすることで「ありがとう」という言葉がもらえることでした。一日に何度ありがとうを言われたかわかりませんし、家族の人からもとても感謝してもらいました。そのことで自分の仕事はやりがいがある、誰かの役に立っていると感じることができました。
また高齢者の方が施設生活の中で活き活きとしている姿を見たり、施設に入所してきた時よりも生活を通して元気になっていく姿を見ると、この仕事をしていて良かったなと強く思いました。

私が職場を離れる時に「寂しい」と涙を流してくれる高齢者もいて、介護という仕事は大変だけれども、要介護の高齢者の生活を支える大事な仕事で、自分が支えているようでいて、逆にやりがいや生きがいで私自身が輝いていることもあると思えました。

葬儀会社の手配でお寺を紹介してもらいました

癌で闘病していた父が、一週間ほど自宅療養したのちに亡くなりました。
事前になぜか父が、葬儀会社のパンフレットをもらってきていて「自分の葬式は交通の便も考慮してここでやってほしい」との希望があり、そちらに電話しました。
電話から一時間ほどで、葬儀会社の方が来ていろいろと打ち合わせをしたのですが、初めての葬儀で何もわからなかった私たちは、親戚のおばさんたちの言うままに、花の手配や香典返しなどを決めていきました。
父は、会社を休職中に亡くなった形となるので、本当は「家族葬」を希望していたのですが、会社にも、今後いろいろな手続きを頼まなければいけないこともあり、一般的なお葬式のスタイルにしました。
ある程度、通夜や告別式の日程やそのほか、もろもろが決まっていったのですが、一つ困ったことがあったのです。
それは、我が家は無宗教であったことと、父の実家は遠方であったこと、三男のためお墓などがなかったことです。
しかも、私が一人っ子で旦那さんが長男ということもあり、亡くなった後のお墓の世話などを娘のわたしにさせたくないという思いがあり、生前に、父は、永代供養ができるお寺にしてほしいという希望を出していました。
しかし、長年、地元に住んでいても、生きているときにお寺探しすることはなかなかないもので、どこにそんなお寺があるのかもわからず困ってしまいました。
すると、葬儀会社の方が、「最近、永代供養を始めたお寺があるので聞いてみます」と電話をかけてくださり、事情を説明してくれた上で、お寺のほうでも了承してもらうことができました。
亡き父の希望も叶い、家族としてもほっとした気持ちになりました。
お寺も最寄りの駅からほど近い場所にあったので、父を慕う友人や親せきが後から尋ねるのも便利な立地でした。
通夜や告別式も滞りなく済み、料金も思ったよりも高くはなく全部で70万円ぐらいでした。
100名ほどの弔問客があったことから考えると安く済んだように思います。
大きな葬儀会社にしようか迷ったのですが、地元密着型の葬儀会社にしてよかったです。

歩行が困難になった姑の幻聴に悩まされる

結婚当時から口うるさくて神経質な姑は苦手なタイプでしたが、遠方に住んでいたこともあり限られた時間の我慢で済みました。
ところが舅が亡くなったことを機に、姑は私たち夫婦と同じマンションの空き部屋を購入して引っ越してきました。
夫は長男ですし、同じマンションというだけで同居ではないので受け入れるより仕方がありません。
当初は元気で自立していた姑ですが半年ほどであちこち痛がるようになり、診察してもらった結果は骨粗しょう症による骨折でした。
一時期は入院もしましたが、痛みを訴えてもずっと病院には置いてもらえません。
室内では這ったり、杖を使って移動できましたが、半年後には車椅子生活となりました。
診断が下ってからはヘルパーさんも依頼しましたが、ほとんどの介護は私の肩にかかります。
体の痛みがあるせいか神経質さも一段と増し、口だけは達者なので1日中文句ばかりです。
私だけでなくヘルパーさんにもかなりきつく当たり、デイサービスなども断固拒否しました。
夫には一人弟がいますが、仕事が続かずブラブラしていることが多い困った人物です。
この弟は介護には一切手をだしませんが、時々訪ねて来てはお金をせびり、姑の年金が足りなくなることもしばしばでした。
日々の家事の援助や病院への付き添い、さらに家計から持ち出しになる介護費用など、ここまでも大変でしたが、さらに悩まされたのが幻聴です。
姑は上階から大音声で歌やピアノ、お経が聞こえると腹を立てていました。
私にも聞いてみろと言いますが全く聞こえません。
気のせいだと言い聞かせても姑には聞こえるのですから「耳が悪い。」と罵られるだけです。
困ったことに日常生活さえ困難なのに、姑は這うようにして上階に苦情を言いに行き始め、電話番号を調べて明け方でも夜中でも構わずに文句を言うようになりました。
これには上階の方もほとほと困り果て、このままではノイローゼになると怒鳴り込まれました。
認知症かとも思いましたが検査の結果は問題が無く、姑の幻聴がなぜ起きたのかはわかりません。
ケアマネージャーの方とも相談し、そろそろ自宅での介護も限界なので入所できる施設を探し始めた時、姑は肺炎で呆気なく亡くなりました。
施設入所を嫌がっていたので急いで逝ったような気もしますが、体は2回り以上細くなっていつも痛がっていたので体力の限界だったのでしょう。
もしも私が同じ状態になったとしたら子どもに負担はかけたくありません。
いざという時のためにせっせと老後に向けて貯金に励んでいます。

自分らしいお墓選び

久しぶりに実家に帰ると、母が墓石のパンフレットを広げていました。どうしたの、縁起でもない、といった言葉がとっさに口から飛び出しました。七十を過ぎたとはいえ、母は未だ足腰も達者で、週末には好きな山登りを楽しむほどの元気者です。冗談かと思いましたが、母は案外真剣で、墓を買うにも土地を探すのが大変らしい、と答えてため息をつきました。
なんでも、ご近所の方が亡くなって、残されたお身内の方が、お墓探しに奔走されているとのことでした。亡くなられた方はやはり、お元気で評判のご老人で、倒れられたのは本当に急なことだったそうです。ご家族の方のご苦労を見ていると、母は急に焦りを感じたと言いました。墓石のパンフレットは、その方から一部分けてもらってきたとのことです。
私は、母にそんなことを考えてほしくはありませんでした。まだ死なれては困ります。不自然にとられないよう、話題を変えてパンフレットを片付けようとしましたが、母は見るのをやめようとはしませんでした。
仕方がないのでしばらく話を合わせていたのですが、意外と、母は墓石選びを楽しく感じているようでした。
みてみて、と母が言います。今はこんなのがあるんだねえ、と指さすページを見てみると、本当に、驚くほどに多様なタイプの墓石が並んでいました。本を開いた形の墓石、音符の形をした墓石、故人の趣味を表すようなものがたくさんあります。その中で母は、これがいいと、宮殿を模したらしい墓石、ベルサイユ風のお墓を示して嬉しそうに笑いました。
その笑顔を見て、縁起でもないと言ってしまったことを反省しました。母は母なりに、最期まで自分らしくいられる場所を探したかったのだと思ったからです。
以後母はときどき、終活という言葉を口にするようになりました。終活だと言っては部屋を片付け、保険の契約書を探し、最近はお友達と墓所を見に行ってきたそうです。とても楽しそうです。
終活とは、生きている今をすがすがしいものにする活動だと、最近は思うようになりました。後の憂いがないように、今をきれいにしておくことのように、母を見ていると感じられるからです。

大きなわだかまりが残った遺産相続

私が赤ん坊のころに両親は離婚し、一人っ子の私は父に引き取られました。
その後、父は再婚して継母との間に私からすると腹違いの弟が生まれました。
父は性格的に色々問題はありましたが、暮らしは中の下くらいだったと思います。
継母との関係は良好でしたが、それはお互いに我慢している部分があってのことです。
暮らしにゆとりが無くなったのは無理な資金計画で家を建ててからで、ローン返済のために切り詰めた暮らしになりました。
二言目にはローン、ローンと言われる暮らしは重苦しく、家なんて建てなければ良かったのにと思っていました。
そのローンは、私はもちろん年の離れた弟も結婚して子どもが生まれたころにようやく完済できましたと連絡がありました。
やれやれと思ったのも束の間、父が倒れて入退院を繰り返すようになります。
弟は遠方で暮していることもあり、介護は継母と私でするしかありません。
同じ市内とはいえ病院への往復は片道1000円の交通費がかかり、家事との両立は大変でした。
結局1年ほどの闘病で父は亡くなりましたが、弟は1度だけ1泊2日でお見舞いに来ただけです。
そして葬儀のドタバタが終わると遺産相続の手続きに入ります。
預貯金はほとんど無く、遺産と言えるものは実家の土地くらいでそこには継母が住んでいます。
私にも弟にも相続は放棄して欲しいと言われました。
ここで問題になるのは私は継母と養子縁組をしていないことです。
普通の家庭なら母親が父親の遺産を全部相続しても、母親が亡くなれば子どもが分配します。
でも、私の場合は全て弟が相続することになります。
弟が親の面倒を見ているなら良いのです。
また、継母が働いて家計を支えていたなら仕方ありませんが専業主婦です。
釈然としない気持ちもありましたが、親戚にも弟にもヤイヤイ言われて相続放棄しました(相続放棄については、相続弁護士のHPが参考になりました。)。
父の死後10年以上が経ちますが、継母は遺産を弟にだけ残す気が満々です。
それなりに上手くやってきて、私なりに継母に尽くしたつもりでも所詮こんなものかとシラける思いが年々募ります。
多分この先に継母が倒れても弟に介護する気はないでしょう。
私は育ててもらった恩があるので一通りのことはするつもりでいますが、金銭的な負担は極力避けようと思っています。
実家の家屋はすでにボロ屋ですし、土地だってせいぜい1000万円くらいなはずです。
骨肉の争いをするほどの金額ではありません。
ただ、当然のように相続放棄を迫った継母やその親戚、弟には大きなわだかまりが残っています。
ショックだったのは父の遺産をもらい損ねたことより継母の本心が分かったことです。
遺産相続のいざこざはこういう感情のもつれが一番大きな要因だろうと痛感しています。

養子の兄との相続問題

私の家族は、少し複雑で、私とすぐ上の兄は、血のつながった兄弟。そして、その上にいる兄は、父親の前の奥さんとの間に養子縁組を組んだ子供でした。その為、私たちの母との折り合いが悪かったのか、高校を卒業し、すぐに家を出て行った兄。居場所はわかっているものの、ほとんど、連絡を取らないような生活を送っていました。
そんな時、父が病気で亡くなり、一応、兄にも連絡をしたものの、葬儀に来る事はありませんでした。その後、相続の話になった際、今住んでいる家の名義から株券、現金とあまり、多くはないものの、やはり、相続の手続きを行わなければいけないと言う事が分かり、書類の作成を行う事になったのでした。
しかし、ここで問題になったのが、兄の印鑑です。電話をしても、一向に電話に出ない兄。そんな状況と父が亡くなった事で、母は、「もっと、早く養子縁組を解消すれば良かった」とまで言い出す始末。今更、そんな事を言っても始まらない為、私は、思い切って兄を訪ね、書類にサインしてもらうよう頼みに行ったのでした。
すると、すぐに家から出てきてくれた兄。私にとっては、養子であると兄は兄。そして、そんな兄も私の事を妹として見てくれていたようでした。その為、すぐに相続に関する書類にサインをしてくれ、一緒に市役所に行き、印鑑証明などもすぐに取ってくれました。こんな事なら、もっと、早く会いに来ていれば良かったと後悔するほど、楽しい時間を過ごす事ができました。
養子だった兄。その為に、相続の手続きに手間取ったと言う事ではなく、我が家の場合は、そんな兄との溝があったから、相続の手続きに手間取ったと言えると思います。正直、兄の家に行くまでは、相続分をよこせ!などと言われるのではないか?など色々な事を心配していました。しかし、兄は、そんな事など一切触れず、私がお願いした場所に印鑑を押してくれたのです。もちろん、相続分は渡しました。でも、これをきっかけに連絡を取るようになり、私は、本当に嬉しく思っています。